2009年07月11日

サプライズを見て

 辛坊治郎さんと大竹まことさんが出ている日の「サプライズ」という番組を録画して見ています。
 安部元総理大臣や橋下大阪府知事、この前は櫻井よしこさんがゲストで出演し、辛坊さんが本音を引き出す感じで進行するので、気持ち良く見ることが出来ます。司会をするというより、自分の思う意見になるように進行しているように見える人が多い中、本物の司会者だと感じます。だから、そんな人達が出演されるのかません。櫻井さんなど、本当に素晴らしかったです。昔はそんな日本人が沢山いたのかもしれません。胸の空く思いでした。
 大竹さんの思い込みによる、自分の意見を無理矢理通し人の話を聞かないような喋り方に辟易しながらも、辛坊治郎さんが中立を守っているので、私も辛抱して見ることが出来ます。
 そもそも芸を売って身を立てている者が、テレビで政治を語るなんぞ思い上がりです。芸人は、一生芸に身を費やしてこそ芸人。芸人が、芸以外に身を費やした時、芸人は芸人で無くなるのではと思います。

 この前の番組は麻生総理が国会解散をしないのをどう思うかと問いかけた内容でしたが、普通に暮らす人々とテレビに出ている人の発言に、大きな違和感を感じました。
 一律に麻生総理が何故解散しないのかわからないといった意見でしたが、私は何故解散するのかがわかりません。私には解散の意味を知らず言っているとしか思えません。
 総理大臣としての任期を全うする前に、総理大臣が代わる、今までの日本が異常だと思うのです。本来任期まで職務を果たすのが当たり前で、地方自治体で任期満了が当たり前です。解散総選挙をするのは「みんなは反対するが、他の事は妥協しても、これだけは譲れない」といった時にだけに使う手段だと思うのです。いつの間にか解散が当たり前のように感じる日本の政治は、今の日本人の現実を見せてくれているように感じます。そんな政治家しか選んでいない日本人を未熟に感じるのです。今の政治家は、普通に生きる日本人の鏡のように感じるのです。

 テレビでは普通のおばちゃんが「何で解散せえへんのかわからへん」と言っていました。逆に問い掛けたい。

「何で何の為に解散するのか理由を教えてください、テレビが言ってるからは無しですよ」

 麻生総理を弁護するつもりはありません。麻生総理には、政治家として未熟さを感じます。未熟な国民が選んでいるので、未熟な政治家が総理になるのは当たり前かもしれませんが、それでも現実に日本国総理大臣なのです。外国から見れば、普通に暮らす日本人が選んだ、日本人を代表する人なのです。自分の国の代表を尊敬出来ない国民が、諸外国から尊敬されるとは思いません。

 こんな事を言うと、アメリカや韓国のように、直接選挙で選んでいないので、日本の代表と認めない、私が選んだ日本の代表では無いと言う人がいます。
 そんな方はもう一度学生に戻ってもらって、議会制民主主義のお勉強をおやりなさいと言いたくなります。
 国会議員を直接選挙で国民が選びます。おらが街の代表で国会に行った議員は、直接選挙で国会議員から総理大臣を選びます。結果的には自分達が選んだ総理大臣で、これを議会制民主主義と言います。そしてこ総理大臣の選び方は日本国憲法に書かれていて、日本国憲法に準じて選ばれる日本国内閣総理大臣です。
 これが嫌で、総理大臣(国の代表の意)を国民が直接選べるようにするには、憲法を改正しなければいけません。直接選挙で総理大臣を選びたきゃ、同じ口で憲法改正を訴える事が必要です。

 残念な事に違うテレビでやはりお笑い芸人が、憲法を改正反対と言った同じ口で、総理大臣は直接選びたいと言ったのを見た気がします。
 憲法改正反対との言葉はよく聞きますが、反対しなくても、現在、憲法改正は不可能です。敗戦後からずっと、憲法を改正する手続きそのものが無いので不可能なのです。
 いくら騒ごうと喚こうと、憲法を改正出来ない状態に今の日本があると言うことを、お忘れかご存知無い方が多いようです。憲法改正したきゃ憲法をちゃんと読みなさい。勉強のし直しです。


 総理大臣を直接国民による選挙で選びたい。
 それには、憲法を改正しなければいけない。

 憲法改正には、国民投票が必要と憲法に書いてある。

 国民が投票するには、それを規定する法律が必要。

 法律は出来ているが、まだ施行されていないし、施行するとも限らない。


 憲法を改正したくとも絶対出来ない日本の現実があるのに、憲法改正反対を声高らかに叫んで、同じ口で憲法改正が必要な事を声高らかに叫んだりするのは、まるで共産主義なのに経済主義をとる国のようです。

 おかしいと思います。やはり、教育を正しく事実を公平に教えることと、せめて国民の六割が選挙に行くようにならないと、今から日本が良くなることは無い気がします。

 日本の国民性に、民主主義はあわないのかもしれません。
posted by 郁朗 at 18:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2009年07月07日

北朝鮮のミサイル

 西日本新聞で、韓国からの話として、北朝鮮のミサイルの命中精度が上がっていると記事を目にします。その理由は、北朝鮮が撃ったミサイルが同じ場所に落ちるようになったようです。
 日本人は知らないのか気にしていないのか、騒ぐ様子は感じないのですが、私は心配しています。

 私は、北朝鮮の将軍様は死んだと思っています。もし生きていたとしても、国を指揮できる状態では無いと思っています。だとすると、北朝鮮の実際は、軍部が政権を運営することになると思いますので、とても心配です。
 軍隊は他国を攻撃できる武力を持っていることだけが存在理由です。軍隊は軍事力を行使してこそ軍隊です。将軍様の存在が無くなり、北朝鮮の軍隊が軍事力を見せ付けようとしてもおかしくありません。どの国に行使するかを考えれば、行使する相手にまず日本を選ぶのではないかと心配します。
 中国には援助をして貰っていますし、中国も空母を作るなど、軍事大国を目指しているようなので、北朝鮮が中国の先兵のような役目をするとすれば、お互いの利害が一致する事になり攻撃しません。
 韓国と北朝鮮は休戦状態とはいえ、元々一つの国で言葉も同じですから、北朝鮮が韓国を最初の攻撃相手にはしないと思います。
 アメリカに届くミサイルは持っていませんし、アメリカを攻撃すると徹底的に反撃するのはイラクで実証済みですから、攻撃目標にアメリカはありえません。

 すると残るは日本。

 日本の軍事力は世界有数とはいえ、北朝鮮を攻撃できる軍事力を自前で持ちません。アメリカが、どちらかと言えば中国に寄り添っているように見える今、中国と北朝鮮に約束があって、アメリカも中国を無視できない存在だとすれば、中国が北朝鮮を擁護すれば、日本にミサイルが飛んで来て、「日本を狙ったのでは無い。実験が失敗し誤って福岡に落ちた」と北朝鮮が言い、中国がそうだと言えば、アメリカは日本の代わりに報復行動はとらないかもしれません。

 すると、北朝鮮は日本を攻撃できる力を持っているという現実だけが残ります。

 もしこちらが強気に出て追い詰めると、「今度は実験では無く、日本を攻撃する」と言い出しかねない国です。

 日本は仕事をしていない多くの年寄りを養いきれるお金持ちの国です。世界的に一流の技術もあります。北朝鮮は今だに日本統治時代の設備を利用していると言いますから、日本の力を知っています。そしていざとなったら怖い国であることを先の戦争で知っていると思います。そのいざという時の恐さが今は無いと北朝鮮が思った時、安心して利用する相手と考え、そしてお金を引き出す北朝鮮の金庫のような存在になるのではないかと心配します。

 極端な話だとは思いますが、可能性が無い話だと言い切れる人もいないと思います。

 窮鼠猫を噛む

 そんな言葉を思います。

 日本が過去に戦争に踏み切った時のように
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2009年07月05日

ガムテープで幌の修理をする陸上自衛隊の方

 昨年引っ越した先は陸上自衛隊の官舎がある校区でしたので、自衛隊の方にお目にかかる機会が増えました。特に運動会では、非常に頼りになる存在です。自衛隊についての思いが変わった引っ越しでした。
 市内の転校でも、娘の転校生活を心配した私でしたが、毎年自衛隊の方々のお子様が数人転校され、転校生が当たり前の小学校でしたので、私の娘達は学校に馴染み易かったようで助かりました。

 一度の転校でさえ心配した私ですが、自衛隊の方は、自分の子供を自分の移動に伴う転校を普通にさせ、憲法違反だと言われながら、職務を遂行される自衛隊の方には頭が下がります。

 原因は中国にあると思っている最近の変な梅雨模様。川が氾濫するほどの豪雨だったり、降らなかったり、昔のしとしと雨の梅雨が懐かしい日々を送っています。
 しとしと雨模様の中、鹿児島から久留米に帰る高速道路で、自衛隊の方々の一団と出会いました。幌つきのジープが十数台連なっています。
 いつもの宮原のパーキングで休憩をとると、自衛隊の方々も同じ様に休憩をとられてました。そしてまた走ろうとすると、隊員の方がジープの前輪に乗って何やらされています。よく見ると手には黒色のガムテープ。雨が降り込むのか、幌の前の部分をガムテープで補修されていました。
 恰好が良い高そうなジープを見ることもありますが、私が見かけた部隊の車はどれもが決して新しい車ではありませんでした。自衛隊へ使うお金が少なくなっているのは聞いていましたが、幌の修理をガムテープでしなければいけない程とは思いませんでした。

 陸上自衛隊は、もし他国から武力を持って攻められた時、上陸して来た軍隊を迎え撃つ役目を持ちます。私達が最後の最後に頼りにする、最後の最後まで私達を守ってくれる存在の自衛隊です。そんな自衛隊の方々に、そんなおんぼろな車を使わせている事は、自衛隊を日本人が大事にしていない現実のように思ってしまいました。
 一流企業の営業車で、おんぼろぐるまは見ません。おんぼろぐるまに乗るのは、おんぼろがいしゃです。
 武力を持って最後に私達を守ってくれる方々を、おんぼろジープに乗せるのは、他の国に対しても、日本人としても恥ずかしい気がします。


 私は、歴史を知ってほしいといつも思っています。今の平和を続けたければ、今の平和を手に入れた歴史を知るべきです。
 今の平和は、日本が戦争に負けたから手に入ったのでは無く、憲法九条があるからでも無く、命を賭けて戦った日本人が過去にいたからだと思います。
 アメリカ人が思っていたより手強かった日本人がいたからです。
 それを反省したアメリカは、日本人をアメリカ人にするのでは無く、骨抜きにすることを考え、実行し成功しました。
 九条反対の方も理解はできますが、ならばその憲法九条に明らかに違反する自衛隊を無くす努力を淡々とするべきだと思いますが、九条死守を言う人達が企画した船は、ソマリア沖での海賊に対して派遣されている自衛隊に守って貰う始末です。
 普段は非難しているのに、いざとなったら守って下さいと言うなど、虫が良すぎます。危険が故に苦汁の選択とおっしゃるのでしょうが、ならば最初から平和の船を企画することをお止めなさいと申し上げます。
 そして、歴史を正しく知りなさいと申し上げます。
 今より良い世界にしたいと思えば、歴史を振り返り、良き事は守り、悪き事は二度と行わない事が大事と思っています。そうやって日本は二千年の歴史を誇って来た現実があります。

 一律で過去の日本を悪く言うのは、現実を見ていないと思います。

 現実感の無い日本が変わり、自衛隊の方にガムテープで修理する必要の無い車両に乗って頂きたいと思い、こんな話に成ってしまいました。



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2009年06月29日

バーボンから焼酎、そしてまたバーボン!?

 私はとにかくお酒が好きです。

 生まれて初めて酔ったのが、小学校四年生。ビールコップ二杯で酔いました。泥酔が中学校二年生。一緒に呑みたくて勧めますが、小学校六年生の娘は、私が勧めても飲みません。

 子供と呑みに行くのが私の夢なのですが、叶うのはまだまだ先のようです。

 元々バーボンが大好きで、一番好きなのがフォアローズ。正式にはフォアローゼスのようですが、スナックで飲む酒の定番が、タヌキだった時代はフォアローズと言っていました。
 今と同じで稼ぎが悪かった若い頃。晩酌は安い芋焼酎でした。焼酎は安物の酒で貧乏人が飲む酒と言われてましたが、焼酎はバーボンと同じ蒸留酒と言って反論して呑んでいました。
 酒税法の改正と、焼酎ブームで焼酎の値段もかなり上がりました。その一方で日本酒などの酒の値段は下がり、経済的な事を考えれば日本酒が良いのかなと思いますが、日本酒に入っている糖分が、私の体が嫌だと言ってしまい飲みません。
 今日も晩酌用のお酒を買いに行くと、二十年前に好んで呑んでいたフォアローズが目につきます。値段は何と1080円。白波より安いではないですか。購入です。

 呑みだすと、何も考えずに生きていた頃を思い出します。意味の無い自信だけあって、現実を見らず、その日その日を生きていた若い時を思い出します。
 あの頃もう少し真剣に考えていれば、今より楽な生活を送っていたのかなあと反省もしますが、不真面目だったからこそ、今の嫁さんと出会い、そして四人の宝を授かったのですから、いい加減に生きた時代も私には必要な時代だったと思います。
 


『脳にいいことだけをやりなさい』(三笠書房、マーシー・シャイモフ[著]茂木健一郎[訳]

 今読んでいる本です。

 アメリカ人らしくなく、目に見えない事を信じよと言っているような内容で、目に見えない力を信じている私には納得させられる内容です。
 その本に書かれていた事は、バーボンを呑んでいた時代に考えていた事と似ているところが多くありましたが、上手くいかず改めた考え方も含まれていました。真面目になろうと考えてですね。
 丁度、若い頃に戻って生きようと思っていましたので、改めた考えをまた改める事にします。
 バーボンから芋焼酎になって、またバーボンとなるように。

 若い時は、叶わない事を自分以外を原因にしていましたが、原因は自分にあるんですね。

 好きな場所で、お酒と本と音楽、そして家族。

 本当に願う事にします。

 自分が本当に好きな時間を叶えるために、



posted by 郁朗 at 12:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2009年06月26日

マイケルジャクソン

 中学生の頃から洋楽大好きで、特に女性ボーカルをよく聴いてました。なかなかレコードは買えなかったので、せっせとテープにダビングしてました。

 今朝、マイケルジャクソン死去の知らせがあり、お昼のワイドショーでは、とても洋楽を聞いているように思え無い人が、尤(もっと)もらしくコメンテーターしています。

 自分が良く知らない事を尤もらしく喋るのは恥とする人が多かったと思うのですが、弁護士の勉強しかしていない人が、ジャクソンファイブを知るわけも無く、エボニーアンドアイボリーを知るわけも無く、スリラーだけしか知らないのに、マイケルジャクソンを語るなんて、お金の為なら知らないことも知ったかぶりするみっともない日本人に見えます。

 マイケルジャクソンもスリラーの前までは好きでした。特にジャクソンファイブ時代のマイケルの歌はとても良かったです。心洗われる美しい歌声でした。ポールマッカートニーとのデュエットもポール派の私には思い出の一曲です。(スリラーの後だったかもしれませんが)
 
 ここまで書いたら、ファーラーフォーセット(メジャーズ)死去が知らされます。チャーリーズエンジェルの人で、一番好きでした。アルバムも出していたので、良く聴いていました。サンバーンという題名でしたでしょうか、チャーリーズエンジェルを辞めてからの映画も見に行きました。
 旦那さんはライアンオニールだったんですね。ライアンオニールも好きで映画も見ていましたが、娘のテイタムオニールも好きでした。

 私の好きな人と人とが結婚していて、良い夫婦をされていたのですね。しかも素敵な人生の最後の様でした。

 人の価値は、亡くなった時に出来るんだと実感します。

 私の、いつ死んでも良いように悔いの無い様に生きたいとの想いを、改めて思わせてくれた日です。

posted by 郁朗 at 13:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2009年06月25日

親の役目

 親の私より上手く人付き合いをする、愉快な小学校六年生の女の子と、いざという時には冴えた行動をする小学校三年生の女の子、優しくやすらかに人と接する今年幼稚園を卒園する男の子と、片言でしか喋れないのに、自分の意志をしっかりと主張する逞しい二歳の男の子。
 二歳であっても、十二歳であっても、私達の子供達には生まれた時からそれぞれに人格が存在する事を感じると、子供に対しての親の役目は何だろうとを考えてしまいます。人として成熟していない私には、正しい親の役目はわかりませんが、社会に出てからの生きる力を付けさせてやりたいと思います。

 私は子供達に挨拶と食事を残さないように口うるさく言います。
 一人で上手く生きられる人であればいいのですが、そうで無かった時人との付き合いの始まりが自然に出来るように、普段から挨拶を無意識に出来るようになって欲しいと思っての事。
 「いただきます」と言って美味しく食事をし、残さず食べて「ごちそうさま」と言うのは、一番身近で生きることに一番必要な食べ物にも感謝する気持ちを持って欲しいと思っての事。
 今は親との同居をし三世代家庭になっているのですが、「いただきます」「ごちそうさま」「おはようございます」「行ってきます」「いってらっしゃい」「ただいま」「お帰り」これらの言葉が、おじいちゃん、おばあちゃんの口から出ないことがよくあります。
 いただきますと言わずに食べはじめる、ご飯を綺麗に食べない、自分はいってきますと言わない事があるのに、子供が言わなかったらそれを責める、そんなおじいちゃん、おばあちゃんが目の前にいることを悩ましくなります。
 私が大人になって子供を持った今でも、自慢の大好きなひいじいちゃん、ひいおばあちゃん、おばあちゃんで、自分の子供達に私と同じような気持ちを味わって欲しいと思うのですが、どうやらそれは叶わぬようです。

 この世代の方々は、自分の権利を優先される方が多いような気がします。今のような日本人気質になった始まりの人達のようにも見えます。たとえ家族であっても、自分の権利をほごにされる事を嫌うように見えます。自分の権利を守った上でしか、人の対して優しく出来ない人が多いように感じます。

 戦争に負けて七年間は、先生がそれまでの価値観を捨てて教育しなければいけなかった時期なので、その頃に今で言う小学校教育を受けた方々の価値観が違うのは当たり前なのかもしれません。

 親の役目はわかりませんが、私が死んだ後、お父さんの子供で良かった、有り難うと言ってくれるような生き方をしたいと思います。
posted by 郁朗 at 20:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2009年06月23日

沖縄慰霊の日

 今日は沖縄にとって特別な日。

 県民全てが戦ったと言っても良い沖縄戦が終わった日。

 軍指揮官が自決をした日。

 六十四年経っても、沖縄にはとてもとても大切な日。

 読売新聞では、今日が「沖縄慰霊の日」を一面で伝えていましたが、西日本新聞は一面にさえ記事にしていませんでした。
 数年前の「慰霊の日」の一月ほど前に仕事で沖縄に行き、まるで昨日の事のように伝える新聞に愕然とした事を思い出します。

 鹿児島出身の牛島満(うしじまみつる)陸軍司令官、福岡出身の長勇(ちょういさむ)参謀が摩文仁の丘の司令部で自決し、沖縄でのアメリカと日本の戦いが終了した日です。

 渡嘉敷島で集団自決が起きた日の後、アメリカ軍は北谷(ちゃたん)などの美しい海の沖から、沖縄の地へ向かったすさまじい砲撃をします。地形が変わるほどの砲撃は、「鉄の暴風」と呼ばれています。硫黄島への攻撃で苦戦したアメリカ軍は、安全に上陸出来るようにと無差別に砲撃しました。
 沖縄戦は、日本軍は勝利を目的とせず、日本本土への攻撃を遅くする為の戦闘とされていました。日本軍の装備は万全だったとは言えません。それを補う為に、普通に暮らす沖縄の人を戦いの為にかり出します。その結果、沖縄の人々の心に大きな傷を残す戦いとなりました。

 私は、本土の人の無関心さを、腹ただしく思っています。その沖縄戦に無関心な日本人の姿と、今の自分の事を優先して考えるおかしな日本人の根本は同じだと考えています。

 日本の為に命を落とした沖縄の方と、軍人の方のご冥福を祈ります。




 これからは、沖縄の人が1フィートの運動と称し、膨大に残っているアメリカによる映像を買い、まとめた映像です。内容に間違っていると思う説明がありますが、それも沖縄の方の気持ちです。本土の人間はこんな場所の上で、「沖縄って良いね」と言いながら、戦争の事を関係なく観光しています。知れば知るほど複雑な気持ちになります。せめて今日くらい、多くの日本人が沖縄に想いをはせる人が増える事を希望します。














 沖縄と日本、沖縄の人は「私たちは日本人ではないのか」との思いがあり、本土の人は「無関心」本当に悩ましいです。
posted by 郁朗 at 12:13 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

NHKが又本当の事を隠す

 NHKで「沖縄・慰霊の日特集」“集団自決”戦後64年の告白〜沖縄 渡嘉敷島〜と題して、昭和二十年三月二十八日に起きた、渡嘉敷島の集団自決と呼ばれる、住民がアメリカ軍から守るために、アメリカ軍に辱めを受けぬよう家族を殺した事を特集していました。

 全ての事実には、そうなる原因があります。事実を反省しなければいけないのであれば、その原因を解明、理解し、二度の起こらないようにする事が大事です。それは当たり前なのですが、日本に於ける戦争においては当たり前でなくなります。

 番組で取り上げられていたのは、家族に手をかけたという二人の兄弟です。兄は六十四年経って初めてその日を語りますと言って始まります。

 「みんな首を絞め  それから僕たちも家族をやったわけです。これだけの人間を殺してしまって、いつでも心の中では思い詰めているのです。」

 番組は「戦後六十四年目の告白です」と言って兄の言葉で始まります。
 その兄は島に残り家族をつくり、そして毎年渡嘉敷島の慰霊の日には、一人でひっそりと慰霊します。その時十八歳、両親と幼い弟、妹を手にかけました。兄は島に残って悲しみを背負ったまま生きていかれます。

 始まって十五分頃に、「島の人々は、集団自決について一切口を閉ざす事で戦後六十四年を生きてきました」と語ります。

 その後すぐ「渡嘉敷島の集団自決で、ただ一人、家族を手にかけた事を人前で語っている人がいます」と語ります。
 その人は戦後すぐ島を出て、宣教師となった弟さんです。

 この方は、戦後軍隊の強制で集団自決を行ったと言っていた方です。

 兄弟で、兄は島に残りその罪を胸に刻み生き、弟は島を出て宣教師となり集団自決の言葉を使い集団自決について語っておられます。

 弟さんが殺した様子を語る最後のほうになって「・・・だけど他人には手加減をした。言いたくないんだけど僕が身近な同級生、女の子にも手を貸した。生き残ったですよ。けど家族に関しては徹底的に殺した」と語ります。
(なぜかこのときはテロップが流れません。お兄さんの言葉は綺麗にテロップを流されていたので正確に残せますが、弟さんの言葉は聞き間違いがあるかもしれません)
 それから「どうせ死ぬならアメリカ軍に切り込む。○○さん兄弟は山を下りました。ところがすぐに日本兵と出会います。誰一人生き残っていないと信じていた○○さんは愕然とします。島は玉砕していなかったのです」

 軍人は生き残っていたのに、島の人を守らずに生き残ったと言いたげです。島の人は、軍隊が戦っている事を知っています。ただ、人間魚雷として残っていた部隊だったので、陸上戦が出来る装備は持っていませんでした。

 隊長命令があって、島の人は自決をせざるを得なかったと言うのが、今まで言われていた事です。その代わりに、こんなシナリオを作り出したようです。

 それから戦陣訓を取り上げます。

 戦陣訓を作られた方をご存じですか。それは今村均という、仙台出身の方です。山岡莊八が、今村均のような人ばかりであれば、日本軍が言っていた事を信じても良いと言われた方で、ラバウルの将軍でBC級戦犯として捕虜とされた軍人が最後の結果が出るまで、自ら戦犯となられた方です。

 沖縄戦は戦争末期です。全ての日本人が玉砕覚悟で戦っていたときのことです。別に沖縄の人だけが特別ではありません。本土の人間も沖縄と同じ事があれば、沖縄の人と同じように戦っていたはずです。なぜ日本本土でそうならなかったと言えば、沖縄の方々が軍人民間人関係なく戦ってくれたからこそ、アメリカは日本人を恐れ大砲が届かない高度を飛べるB−29を使って、人を殺す目的ではなく火事を起こす事を目的とした焼夷弾を使い日本人を焼き殺したのです。日本家屋は木材で出来ていて、火事になりやすいと考えたからです。これはその後起きたベトナム戦争でジャングルに潜むベトコンを恐れ、森林を焼き払う目的でナパーム弾を落とした事と同じ様な目的です。

 番組の最後は、戦後数回しか合わなかったその兄弟の再会で終わります。兄に痴呆が出てそれを知った弟が会いに来ます。その様子は、兄は弟が会いに来たと感じていないように痴呆が進んでいるように見えます。
 そして又、三月二十八日の慰霊祭の日の様子を伝えます。痴呆となり参加出来ない兄は、渡嘉敷島を向いている部屋で、兄にスタッフが「今日は三月二十八日です」と伝えると、痴呆の兄は「慰霊の日だね」とすぐさま答えます。そしてその後の顔は、その日の事を思いだしているかのようです。痴呆となって、弟の再会さえ心ここにあらずの様子でしたが、三月二十八日についてはすぐさま答えられました。長い沈黙の後、カットチェンジし
 「やぱり戦争で亡くなられた方々の御霊を考えた場合に、どうしてああいう事をしなければいけなかったのか、この一点だけは、心の中から消えないと思います」
 そして又カットチェンジし
「国の為国の為、国の為といくら言っても、人間が死んで、何が国の為かと、今更その思いなんです」と兄は語ります。

 まるで意図的に編集されたようです。

 兄さんは痴呆となっても、慰霊の日を思う様子が放送されますが、弟さんについてはありません。人前で集団自決の悲惨さを語っておられるのであれば、その事実があった日に、渡嘉敷島に慰霊に訪れても良いような気がしますが、NHKの番組で取り上げられていないと言う事は、弟さんは集団自決があった日に、渡嘉敷島に慰霊に訪れていないと言う事でしょうか。

 知られていない事ですが、慰霊の日、その渡嘉敷島にいた軍隊の人と島の人は交流しています。ただそれは伝えられません。

 私は大好きな沖縄について言いたい事がたくさんあります。ですがそれは同時に沖縄の人の気持ちを踏みにじる事になりなかなか言えません。沖縄の方に意固地になりすぎていると感じる事もあります。ですがその前に、日本本土に住む人が沖縄について知らなさすぎます。沖縄の方々が命をかけて戦われたお陰で、今の日本の繁栄があります。

 本土の人間が手榴弾を持って戦いましたか。昼夜を問わず船から攻撃し、山の形が変わるほどの攻撃を受け、グリースガンを持ったアメリカ兵から家族を目の前で殺されましたか。

 沖縄の方がどういう戦い方を知らずして、観光地沖縄としていく現実、観光でしか生きていけない沖縄の現実、それを日本人の国籍を持つ者の多くが知るようにならないと、本当に戦争が終わったとは思えません。

 日本人は日本人が行った戦争について、知らなさすぎます。沖縄戦の事実をもっと知って欲しいと思います。
 
posted by 郁朗 at 01:25 | Comment(3) | TrackBack(0) | 日記

2009年06月22日

ありあまる富

 好きなものと問われれば、音楽と答えます。好きな音楽と問われれば、色々と答えます。

 ジャズもロックも歌謡曲でも、好きになった人の音楽が好きな音楽です。

 「ありあまる富」は椎名林檎がスマイルというドラマに書き下ろした曲の題名です。

 丁度長女が二歳か三歳くらいの頃、仕事での後輩の影響から、椎名林檎を良く聴いてました。遥かに私より年下の彼女は、私に何とも言えない懐かしさを与えてくれました。おじさんの私もサンパレスまでライブを見に行きました。三階の一列目。立ち上がって聴くには歳をとっていましたので、私にとっては素晴らしい席。どっぷり林檎ワールドに入った良いライブでした。
 いつも聴いていたので、長女オンステージの曲はいつも椎名林檎でした。
 その後、多分私と同世代の方が彼女を枠にはめてしまったのか、急速に私が感じている魅力を失い、長く聴くことは無くなります。

 その長女も小学校六年生。ジャニーズとテレビドラマの情報は彼女だよりです。そして始まったテレビドラマ「スマイル」その挿入歌が椎名林檎。テレビから流れる椎名林檎の曲は、その頃の椎名林檎でした。

 一週間ほど前にCDを手に入れました。テレビではワンコーラスしか流れていなかったので、歌詞を聞き取ることが苦手な私は歌詞カードを良く見てフルコーラス曲を聴きます。今の私を支えてくれる曲でした。

 私は既にありあまる富を手に入れています。

 それは、家族です。

 富と言われると経済的な富を思い浮かべますが、椎名林檎の言う富は、自分の心の富でした。その富は、人それぞれ違っていてその人が富みと思う事が富であると言っているように思いました。

 経済的な豊かさを求めすぎる今の日本に対する思いなんでしょう。


 やはり才能がある人は凄い。

 
 
ありあまる富

ありあまる富

  • アーティスト: 椎名林檎,野崎良太,いまみちともたか
  • 出版社/メーカー: EMIミュージックジャパン
  • 発売日: 2009/05/27
  • メディア: CD







 だけど、簡単にフルコーラスただで聴ける今の時代も凄いのですが、ジャケットにある背中の大きな傷はCDを買わないと、
この傷が気になります。


posted by 郁朗 at 14:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2009年06月19日

臓器移植法改正案が衆議院で通過

 新聞記事をそのまま書いたような題名になりましたが、素直に良かったなあと思ったんで、この事に触れたいと思います。


 今の日本では、臓器移植が必要な難病の子供達には、二つの道しかありませんでした。

 ひとつは、そのまま死を待つ。

 ひとつは、一億円以上のお金を用意し、海外で臓器移植できる日を待つ。


 日本では十五歳に成らない人からの臓器提供は出来ません。十五歳以上でも、本人の臓器提供の意志と家族の同意が必要でした。その結果、海外では治る病気が日本では治す事が出来ない現実があります。
 それを、生前に臓器提供の意志が無くても、家族の同意があって、脳死となった時点で、臓器移植手術が出来るようになる法律が成立する可能性が出てきたのです。

 今日本の現実は、子供の臓器移植は出来ません。十五歳以上の臓器は、赤ちゃんには大きくて入りません。だから海外に行き移植手術をします。その費用は一億円以上かかるそうです。

 報道で「○○ちゃんを救って」と募金活動する姿をたまに見ますが、私はあの姿が嫌いでした。例えば、千人の方が一万円募金して一千万円。一万人の方が一万円募金してくれて、やっと一億円です。と言うことは、募金だけでは子供を助けられない現実があるのではないのでしょか。
 募金の様子が嫌いなのは、お金持ちにお金をあげているように見えて嫌だったのです。募金した人も良い事したと、自己満足しているように見えて嫌だったのです。

 私の子供がもし臓器移植が必要な難病になれば、子供が死に行く姿を目に焼き付け、その短い子供の人生を、自分の心に刻み込むことしか出来ません。
 もしくは、一億円以上の保険に入り二年間保険料を払い続け、遺体が見つかるように自殺するかです。


 今度の法案は、A案からD案までの四つがありました。そのうち一番大きな改正となるA案が通りました。自民党も民主党も議員の意志で投票させましたので、良かったです。
 臓器移植の先進国のアメリカでは、外国人の臓器移植をやりにくくするようになっている事も、賛成議員が多かった理由になったのかもしれません。

 もし法律が通れば、いくつかの道が開けます。アメリカは医療費が高騰していますが、日本はそれに比べれば恵まれていて、アメリカほどのお金を用意する必要はありません。日本の子供の命を救える道が開ける可能性が出来たことは良い事と考えます。


 法律が決まれば難病の子供を持つ親は、日本での臓器移植を望むでしょう。そして臓器を提供する子供の親には選択を迫られます。

 人口呼吸器を付けて眠っているように見える子供に、目を覚ますことは絶対無いと医者に言われても、僅かな可能性を望む親の気持ちもあるでしょう。

 自分の子供の体一部が、たとえ他人の子供の体の中で生き、人の子供の成長を自分の子供の成長のように見る親の気持ちもあるのでしょう。
 自分の子供がそうなった時、どちらを選択するかはわかりませんが、選択できない今の現実より良いでしょう。

 今の世の中に生きる人は、お年寄りを含めて命とは何か、何故生きているかを考えていない人が多くなったと感じています。それが今の日本にしてしまったと考えます。
 今丁度あっているドラマに、死と家族を題材にしたドラマがいくつかあっているのも、死や家族をもっと真剣に考えようと思う人が増えたからかもしれません。



 人はいつか死ぬ。それは自分も自分の家族も例外ではない。

 自分の子供が明日死ね事になっても、後悔せずに済むように、子供達に接したいと思っている私です。


posted by 郁朗 at 13:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記