2010年02月02日

平成二十二年の久留米市長選挙

 久留米市は中核市です。政令地方都市の次に大きな枠組みで、市で独自に決めた事を実行される事が大きな魅力です。前々市長が中核市となる事を望み周辺の町に合併を呼びかけて人口三十万人を達成でき、久留米市は中核市となれる事になりましたが、実際に中核市になったのは前市長の時でした。
 同じ市職員出身の戦いで、新幹線の駅をつくるかつくらないかで対立し、前市長に強力な応援があったようで、少なくても前市長より理念がしっかりしているように見えた前々市長が負けました。その結果には、人のふんどしで相撲をとったようでいい気持ちはしなかったのですが、これも久留米市民の選択、四千票差で前市長は誕生しました。
 その前市長が昨年八月四日、久留米で一番大きな祭りの朝に倒れます。どうにか命は取り留めたのですが、市長不在のまま二回の議会が行われ、久留米市の行政は代行者である副市長で執り行われた時間が半年以上となりました。そして年が明け、任期途中で前市長が辞意を示した事で一月三十一日市長選挙が行われます。結果は、副市長であり、市職員出身でもある方が市長となりました。対立候補は合併して久留米市となった旧浮羽郡田主丸町議を長く勤められた方、町議六期の実績と旧4町に裁量権を持たせる改革案を訴えられましたが負けました。

 中核市の市長を決める選挙。私は結婚してから初めて投票しませんでした。理由は情けなく、選挙当日仕事に出る間際まで投票日を忘れていたというお粗末なものです。反省しています。選挙日明けて結果を見ると元副市長が当選。仕方ないのかもしれませんが、驚いたのは投票率。

 30.25%

久留米市の有権者数は、24万1330人
投票した久留米市民は、 7万3004人
獲得票数は楢原利則さん、5万9333人、南牧夫さん1万2329人
得票率で言えば楢原利則さん、24.59%、南牧夫さん5.11%です。

 言い訳ですが、私が投票に行かずとも結果は変わらなかった内容です。有権者の24.59%の信任しかなくても久留米市では市長になれます。

 地区別の投票率を計算してみました。

旧久留米市、25.77%
旧田主丸町、28.76%
旧北野町、 35.14%
旧城島町、 23.24%
旧三潴町、 26.66%

 ほとんどが三割を行かず、旧久留米市の合川第2投票所の投票率は15.97%、いったいどうした事でしょう。

 九州の政令指定都市は福岡市と北九州市だけで、他の県庁所在地も中核市です。明治22年(1889年)4月1日、わが国で最初に市制を施行して百二十年以上の歴史を持つ中核市の代表を決める選挙が、この有様なのはどう捉えて良いのか私にはわかりません。

 与党国会議員は後援者から見放され、後援者全てが離れていき、野党国会議員は親の遺産で政治家をし、久留米市民は民主主義の原点である選挙を放棄し、久留米の町が良くなる可能性が他の地域より低い事を実感じました。

 久留米には、世界一、日本一、日本唯一、日本最古、日本最多と、にかく日本で一番の事が多い町なのですが、これでは宝の持ち腐れだと言って良いのかもしれません。

 久留米は日本の象徴なのかもしれないと思った選挙結果でした。


posted by 五十鈴屋こと井上龍夫 at 15:08 | Comment(2) | TrackBack(0) | 久留米について

2009年07月25日

阿久根市長から佐賀前市長、そして何故か久留米へ繋がった日でした。

 こんな私でもここで自分の意見を不特定の人を対象に言うことが出来る今の時代、数年前では繋がらない出来事が繋がって身近に感じて行くのです。実際は感じるだけで、身近ではありませんが、何かのきっかけになればと思って書きます。

 ブログ市長と言われている、阿久根市長竹原さんのブログ(http://www5.diary.ne.jp/user/521727/)を見に行くと、佐賀市の前の市長である木下 敏之 (きのした としゆき)さん(http://www.kinoshita-toshiyuki.net/)との対談の様子がありました。木下さんは私より四年年長、ラサールから東大法学部そして農水省、そして平成十一年(1999年)三月、佐賀市長選挙に当選。県庁所在地の市長としては三十九歳で当時最年少の市長となり、平成十七年(2005年)九月まで二期、六年半佐賀市長をされた方で大きな改革をやられた市長さんでした。やはり凄い人は若い時から凄いんですね。自堕落に生きてきた私と比較に成りません。
 佐賀市は久留米からすればお隣りの市と言って良いくらいの距離で、同業のかっこいい兄さんがいるので、たまに行く事もあるのですが、県が違うことで福岡ではあまり報道されていないのか、木下さんをよく知りませんでした。
 その木下さんのホームページで、久留米市にある企業でムライケミカルパック株式会社http://www.murai.co.jp/)のホームページリニューアルの話をされているので、どんな関係だろうと思いよく読むと、ムライケミカルパックの社長さんの娘さんと結婚されていました。改めて凄い人は凄いと感じます。
 ムライケミカルパックの社長さんは、もう十年近く前になるのでしょうか、ある人を通じて二度ほどお見かけした事があります。何とも言えない大きな存在感をお持ちの方で、凄い方なんだろうと思ったせいか会社の名前を覚えていました。どんな会社かは詳しく知りませんでしたが、ホームページでお仕事の内容を見ると、これまた一地方企業の枠を越えた内容でした。
 塗料のメーカーで、専門家で無い私でもその素晴らしさがわかる塗料を独自に開発され、その良さを失わない為なのか、自社で施工する会社の社長さんでした。見た限りでは大手の会社に負けていない、もしくはそれ以上の一流会社のように感じました。

 久留米の会社である事を誇りに思えます。

 久留米以外の事を見ていて久留米で終着した事が嬉しかった日でした。

 
posted by 五十鈴屋こと井上龍夫 at 20:48 | Comment(0) | TrackBack(0) | 久留米について

2009年06月05日

石橋美術館

 久留米には他の街に無い素晴らしいところがたくさんあるといつも思っていますが、久留米市の人々がそのありがたみを感じていないなと思うこともよくあります。久留米人の気性なのでしょうか、生まれが久留米でないせいか、私はよく違和感を感じます。


 今日は石橋美術館に行きました。七月五日まで、石橋正二郎さんの生誕百二十年を記念し、「PASSION」と題し、ブリジストン美術館石橋美術館の所蔵作品約百十点と、多館の所蔵品十点百二十点を展示されているとのことです。まるで近くの公園に行く手軽さで、日本で有数の美術品を見に行きました。行くと、私でさえ名前を知っている海外の作家の作品もあり、絵がわからない私でもその絵が持つ力に圧倒されました。

 こんな素晴らしい環境が近くにある久留米市は凄いなと思いました。

 石橋美術館は久留米の宝です。

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 行くと、平日なのに多くの鑑賞者がいて、石橋正二郎さんの行った事と合わせて展示してありましたので、久留米の歴史を知る事も出来ました。そして驚いたのが展示作品の質の高さです。青木繁、坂本繁二郎、古賀春江が常時展示されているのは知っていましたが、横山大観、棟方志功、藤島武三、レオナールフジタ、竹内栖鳳、セザンヌ、ルノワール、ピカソ、モネ、ユトリロ、レンブラント、ロダン、と、絵画を知らない私も知っている名前が多くあり、その本物の絵は、人を圧倒する力を持っていました。やはり本物の良さは、本物を見なければわからないと思います。

 優しい感じの絵が多くて、こんな絵を見ながら酒を飲めたら幸せなんだろうとも思いました。
 穏やかな絵が多い中、無条件に圧倒される絵もありました。横山大観の富士山を描いた「神州第一峰」や岡本太郎の「駄々っ子」「海辺」、パブロ・ピカソ「女の顔」
 岡本太郎にしろ、ピカソにしろ、あのわけのわからない絵の良さがわかりませんでしたが、今回本物に触れる事で、何となく良さがわかりました。その中でもピカソの絵は、あの阿鼻叫喚のような叫びしか知らなかった私の目を釘付けにしました。

 本館から別館の展示を見に行こうとする前に、少し離れて煙草を吸おうとすると、昔私がおぼれた50mプールの名残がありました。

SBSH01631.JPG

 ここにあったプールは、水泳記録の基準を満たしたプールでした。もしここで行われる大会で、世界記録の泳ぎをすれば、田舎といっても良い久留米の大会で、世界記録として記録が残るプールを石橋正二郎さんは久留米にくれました。昔溺れかけたプールの飛び込み台に座って、三十年過ぎて煙草を吸うなんて何ともいえませんでした。

 ともかく、七月五日まで世界の名作に触れる機会が久留米であっています。入場料の八百円は安いです。美しい作品を見て、美しい心になりましょう。そうない機会だと思います。もし期間中何度も見れるフリーパスがあれば買いたいと思いました。


 ふと石橋正二郎さんが寄贈した篠山神社の有馬記念館に行こうと思い、行くと閉館中でした。ここには、東郷平八郎の書斎があって、茶室があってと、色々な石碑があるのに気がつきます。ですが、うまく活用されているようには見えませんでした。青木繁の歌碑もありましたが、残念ながら全く手入れされていないと言って良い状態で、稲荷神社の祠など壊れて鏡も無残な姿でした。

 篠山神社は関ヶ原の戦いで勝利し治めることになった有馬氏を祭った神社で久留米城にあります。神社そのものには何も感じませんが、手を合わせると神社の中に「友愛」と書かれた文字が目に入ります。今お調子者大臣と言われている鳩山邦夫代議士が法務大臣時代に書いた書を飾ってありました。
 石橋家の血が、あの方の息子さんに流れているというのは、石橋美術館を見た後でしたので、ここでも複雑な気持ちにさせられます。

 賞に縁が無い私が、唯一賞をとった小学校のスケッチ大会は篠山城で書いた絵でした。私は石碑を書いたつもりだったのですが、受賞理由に石碑の隣にある楠の木が良く力強く書けていますとあって、書いたのは木じゃ無いのにと、複雑な気持ちで賞状を貰った覚えがあります。その石碑は、大東亜戦争で真珠湾攻撃と同時に南方へ上陸した久留米の部隊の慰霊碑でした。小学生の時から、今のように戦争について考えるのが決まっていたのかもしれません。その他にも、何故か大伴氏の石碑もありました。


 石橋美術館の美しさに触れた後でしたので、篠山神社と久留米城址の汚さに、やっぱり久留米の人は、久留米を大事にしていないと思いました。青木繁の歌碑などは、まともに案内看板さえありません。数ある石碑の案内説明板は、個人の方の善意で立てられたような粗末な物でした。
 B級グルメと盛り上がっているようですが、それより特A級の事が沢山ある久留米です。梅林時、水天宮、玉垂宮、高良山など、日本の歴史そのものかもしれないと感じさせる場所があります。高良山、高良山や玉垂宮など、神功皇后の時代からの歴史があり、活用次第では日本全国、世界からもやって来るかもしれない場所があります。

 今のままでは宝の持ち腐れです。
 現在の篠山神社はそのうち別館に写真を掲載したいと思います。


 やっぱ、なしかなあ、     情けない
posted by 五十鈴屋こと井上龍夫 at 17:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | 久留米について

2009年05月12日

石橋文化センターは良いですね

image/2009-05-12T15:24:561

 長男坊が、幼稚園最後の遠足なので、久留米市出身で世界に誇るブリジストンの創業者、石橋正二郎さんの意志を受け継ぐ施設。石橋文化センターにいきました。

 本当に気持ちの良い場所です。

 写真は一番奥にある広場から、美術館方面を写しています。(表側からでなく、裏側からの写真とひねくれもんです)天気がよかったのですが、木陰があって、池があって、滝があって、季節季節の花があって、本当に良い場所です。今は薔薇が沢山咲いてます。池の周りにも菖蒲があって、躑躅が終わりかけでした。ソフトクリームも二百円から、ふを二十円で買って鯉や鴨にえさをあげる。落ち着きます。

 今は、久留米市の施設となっているようですが、富を郷土に還元することを実行された、石橋さんの意志が受け継がれているのを感じます。コンサートホールに美術館、日本庭園、中心街から歩いて来れる場所に、久留米という、地方の小さな町にはもったいないほどです。

 今は使えないほどのお金儲けをしても、自分のためにしかお金を使えない人が多いようですので、百年前の石橋さんのような日本人の姿を、見つめなおさなければならないように思いました。

 仕事のご挨拶でホールのスタッフとお話しましたが、スタッフの方が偉そうにしているところが多いのですが、「先ずはお客様第一」と言われていたのが印象に残りました。

 久留米の誇りですね。
posted by 五十鈴屋こと井上龍夫 at 15:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | 久留米について

2009年05月08日

あけぼの商店街の活性化について思う

 私が住む福岡県久留米市は、人口三十万の中核市です。その規模は県南で一番大きい規模です。そして古い町でもあります。色々な日本一を持っています。そんな魅力ある町なのですが、なぜか久留米の町の真ん中は栄えていません。
 西日本新聞の筑後版に、『町に活気 熱意走り出す 16日に「ふる里プロレス」街宣したが通りは閑散』とのタイトルで、久留米で育った、みちのくプロレスにもでているプロレスラーのつぼ原人さんと商店街が企画して16日に行うプロレスの記事が載っていました。
 つぼ原人さんは久留米の出身らしく、あけぼの商店街という町の中心部にある商店街を活性化させたくて一肌脱いだようですが、チケットの売れ行きは思わしくないようですし、つぼ原人さんも嘆いていらっしゃいました。
 
 私は久留米の国鉄久留米駅のそばで育ったので、あけぼの商店街は、賑やかな町の入り口で、若いときによく遊びに行った思い入れある場所なのですが、現在は空き店舗率20%台。入り口に当たる井筒屋は少し前に閉店。ショッパーーズダイエーは閉店して何年にもなるという、寂れた商店街の典型のようになってしまいました。

 私が子供の頃に町の中心はあけぼの商店街でした。井筒屋、洋服屋さん、鰻やさん、ラーメン店やさん、餃子やさん、生地やさん、ボタンやさん、映画館、レコードやさん、タイホーと、今で言うショッピングセンターでした。次第に、映画館もなくなり、パチンコ店もなくなり、もう十年前から活気はなく、数年前に、郊外型大型ショッピングセンターが出来てからは更に活気が無くなったようです。

 今の市長も商店街の活性化を公約にしているようですが、今やろうとしているお金だけの助成する商店街の活性化の方法は、私には無意味に感じています。
 商店街で商売をするのは、個人事業主になります。お店を出す人に、期間を限定して国民健康保険や国民年金の免除や、養育費の補助を行った方が効果的だと思います。

 町が廃れる理由は単純で、その町に魅力が無くなったからです。電車で三十分で、九州一の町、福岡へと行ける久留米。福岡に若い人は行きます。周辺の町の人も、車を止めるにお金が必要で、目新しいものも無い商店街に来るより、そこから車で十分もかからないところに、無料で休める休憩所があり、無料で車が止められ、ちょっとした遊園地の様相を持つ大型ショッピングセンターがあるのですから、そちらに行くのは当たり前の事です。

 集客のイベントはなぜ行うか、それは普段その町を訪れない人に、イベントをきっかけにその町の魅力を知って貰い、再び町へ訪れてもらうためです。イベントが無くても再び訪れたいと思わせる魅力があるかどうか大切です。再び訪れたいと思う魅力がないなら、イベントで訪れても又来たいとは思わないでしょう。

 よく久留米の町の活性化の記事を見ます。その記事には、がっかりする話が載る事があります。一番がっかりしたのは、市からの助成金を出そうという話になったとき、「そんなお金があるなら固定資産税を減額してくれ」と言った人がいたことを伝えられたときでした。固定資産税が高くて嫌ならば、固定資産税が安い田舎に行けばと言いたくなります。

 自分を育ててくれた町に感謝する。そんな感謝の心が欠けているように思います。

 具体的な方法は、自分の町の魅力を一番よく知るその町にいる人が考えるのが一番です。そしてその想いの強さと数が一番大切です。一番町を知る人、知らない人、大きくみんなで考える必要があると思いますが、いつも感じるのは、いつもの人がいつものように考え、いつものようにしかやっていないと言う事です。その町に関係ない人をも巻き込むおおらかさが無いように感じます。その町を知らない人が感じる自分の町の魅力を聞き、受け入れる事が結果的に町の活性化に繋がると思います。

 私がもし、あけぼの商店街の活性化をを考えるとしたら、「子供達とお年寄り達が集う町、あけぼの商店街」にしたいと思います。どちらも体力的な弱者にあり、体力的な弱者は歩いて全てが済む町の真ん中に住むのが一番です。商店街ではなく、住居にしてしまい、その対象は久留米の人だけでなく、福岡に住む引退して余裕があるご老人が住みたくなる町をつくっても良いと思います。二十四時間診察出来る病院が近くにあり、食べ物は美味しいし、福岡にでたければ一時間もかからずいけます。それが久留米の中心の魅力です。それこそ、空きビルになっている元ショッパーズと元井筒屋をセカンドライフマンションにして、幼稚園も一緒に作ってしまっても良いのではないのでしょうか。

 私の考えを実現するためには、せめて市議会議員になる必要がありますが、自分の生活でさえままならないので、実現するのは難しいですね。
posted by 五十鈴屋こと井上龍夫 at 14:27 | Comment(2) | TrackBack(0) | 久留米について

2009年03月24日

ラーメンにかける思いの強い人達

 私はとにかくラーメンが好きです。気が付くと三食ラーメンであったこともあります。インスタントであれ何であれ、私がまずいと思ったラーメンは人生の中で二つの店だけ、美味しくいないと思うことがあっても、喰いたくないと思うラーメンはほとんどありません。人が不味いと言うラーメンも、それはそれで好きなんです。化学調味料が入っていようとも、旨いと思わなかったラーメンでも、つい食べに行ってしまいます。そんな食べ方をしていると予想もしていなかった感動に出会うことがあります。六ツ門交差点の南側にある老舗ラーメン店の潘陽軒も、久留米の人は美味しくないと言っていたのですが、ふらりと食べによって抜群に旨くなっていたので、今は人にも良く勧めています。
 久留米は豚骨ラーメンの聖地と言う人もいるようです。全国的には豚骨ラーメンは長浜ラーメンなのでしょうが、長浜ラーメンが魚市場のところに出来る前から、久留米の老舗ラーメンは存在しますから、久留米ラーメンが九州において始まりだったとも思いますし、仕事で九州各地を回りその先々でよく食べていましたが、玉名ラーメンであれ、熊本ラーメンであれ、鹿児島ラーメンであれ、味においても久留米は豚骨ラーメンの中心だという気がしています。
 そんな老舗ラーメンの中で、今の久留米ラーメンの地位を築いたとも言える大砲ラーメンを独立して、九月に佐賀県の上峰サティの先、三田川でラーメン店をされる高専時代のだぶり留年中退先輩から呼び出されて久しぶりに久留米の夜の町へ出かけます。だぶりの先輩とは退学してから会うことはなかったのですが、ここ最近なぜか縁があり「今度一緒に呑みに行こう」と言われてから数ヶ月、やっと実現しました。二十年以上前につきあった人と、二十数年経って呑みに行くのは、若い頃に戻り懐かしい気分になっていきました。連れられ初めて行くその店のママは、なんと弟と同級生。のっけから懐かしさ気分いっぱいです。だぶりの先輩は私の他にも中学時代の同級生お二方も誘っていらっしゃったのですが、基本的に人付き合いの苦手な私、初対面の方を相手に微妙な飲み会になる予感もしたのですが、だぶり先輩は隣の中学校出身だったので、初対面の方とも共通の知人の話は出来、しばらくするとこれまた私の学生時代のバンド仲間で、久留米の老舗ラーメンでJR久留米駅前で営業している「来福軒」二代目主人が加わり、不安は見事に吹っ飛び、懐かしさが深まります。
(来福軒の中華丼は大のお勧めです)
 なにやら途中で先輩らが近寄りがたい神妙な面もちで話し込んでらっしゃったのですが、久留米の老舗情報誌「月刊くるめ」と呉服屋さんで主催する、田中麗奈も入賞した「いちご姫コンテスト」の候補者で、ママさんの娘さんで写真と違ってとっても可愛い瑠衣子ちゃんが話し相手になってくれたので退屈することはありませんでした。
 途中でたびたびするだぶりの先輩らが神妙な面もちをされていたのは、これまた老舗の久留米ラーメンで今は営業されていない清陽軒復活の話でした。初対面の方のお一人が仕掛け人のようで、その仕掛け人の方が昔の清陽軒のラーメンを食べたいと思い、私の先輩らを巻き込んで開店の準備をしてらっしゃるそうです。話の内容はわかりませんし、開店に向けて順調でない様子では無いようですが、久留米の人がラーメンに対する熱い思いを感じ嬉しくなりました。こんな方々がいるから多彩で色々な味を持つ新しいけど古くからある久留米のラーメンができあがっていくのかと、ただただ尊敬いたしました。
 たかだかラーメンなのでしょうが、その思いは一流です。そんな決してB級ではありません。特A級です。B級グルメと称するのは止めて欲しいです。


やっぱり久留米は旨いのです。



 四月には清陽軒、九月にはだぶりの先輩のラーメン、食べるのが楽しみです。
posted by 五十鈴屋こと井上龍夫 at 17:20 | Comment(3) | TrackBack(0) | 久留米について

2009年03月21日

B級グルメの聖地(まち)

 私が住む久留米の街では、地元の出版社が、電話帳にあるやきとりの店舗数が日本一であることをみつけ、やきとり日本一で盛り上がりました。久留米では鳥肉以外も串に刺して出していますから、厳密に言えばやきとりではなく、炭火串焼きなのですが、やきとりフェスタと称したイベントは大成功します。ラーメンフェスタに続く盛り上がりでした。
 久留米は九州各地と比べても、飲食店の全般的な味のレベルが高いと思っています。(九州以外行ったこと無いからですが)二十歳の頃に住んだ福岡市で美味しいといわれている福岡のやきとりを食べた時も、久留米のほうが美味しいと思っていました。(魚だけは負けていましたが)とにかく安くて旨いが久留米の街の飲食店の特徴です。私の関東に住む友人など、職場の仲間を連れて久留米グルメツアーに来たこともあります。
 久留米には、うどんやそば、ちゃんぽん、焼肉、トンカツ、餃子など、ラーメンやきとり以外でも、安く手軽に安く食べられる飲食店が多いことから、今はB級グルメと称し、民間と久留米市とが一緒になって盛り上がっているようです。久留米の自慢でもあり、それを自治体と一緒になってやって行くことは大賛成です。ただひとつだけ、気に入らない事があります。


「びーきゅうぐるめ」と呼ぶことです。
 


 久留米の街を盛り上げることは大賛成ですが、それをB級と言うのが不満です。ABCで表現するなら、

 A級の味です。

 決してB級ではありません。

 美味しい食べ物が安く食べれる。

 値段は安いのに味は一流。

 それが久留米です。

 
 途中で美級とか呼んでいたのも見かけましたが、B級に定着したようです。

 味はA級で作っている人もA級です。それをB級グルメと呼ぶと、作っている人間やそれを好んで食べる人までB級と呼んでいるようで いやです。


「『B級グルメ』はやめて『クルメグルメ』と称して、久留米自体をブランドにしてしまえ」と叫びたい気分です。

 私が叫んでもどうにもなりませんが
posted by 五十鈴屋こと井上龍夫 at 10:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | 久留米について

2008年09月22日

久留米のちゃんぽん

久留米の街は食べ物が本当に美味しいです。有名になったのは、ラーメンと焼鳥
ラーメンは大砲ラーメンが行政の力を頼りせず盛り上げてラーメンフェスタを企画、大いに盛り上がりましたが、行政の不作為により盛り下がりました。一方、焼鳥は、あるミニコミ誌の若い社員の方が「久留米って焼鳥屋多いですよね」と言ったことから始まり、電話帳を調べると日本一とわかったことから、焼鳥日本一と盛り上がったと聞きました。
ですが、久留米にはまだまだ美味しいものがあります。
そんななかちゃんぽんがあります。小頭町公園に並ぶ屋台、そして西鉄久留米駅近くの屋台に淡海がありました。白濁豚骨ラーメン発祥という、南京千両の隣です。
その淡海が屋台からに私鉄花畑駅近くに「淡海食堂」と店舗になり変わらぬ美味しさを提供してくれていました。
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三年ほど前から店舗として営業されていたようですが、私はこのたび初めて店舗に行きました。末っ子1歳腕白坊主も食べる勢いが凄かったです。チェーン店のリンガーハットより麺は細め、今は長浜ラーメンにすり寄ってしまって細麺となった久留米ラーメンの昔の太さより少し太いくらいで、優しい味です。太麺のチャンポンしか食べたこと無い人には必ず食べてほしいです。

おばちゃんも元気そうで、変わらない久留米の良さを守ってくれている気がしてとても嬉しくなりました。
そして、ネットの時代にネットを活用している淡海おばちゃんの力強さにも感激しました。

淡海食堂のブログ?HP?です。

ちゃんぼんもおばちゃんも久留米の文化ですので、もし機会がありましたらご賞味下さい。
今度はラーメン食べてみよう。

posted by 五十鈴屋こと井上龍夫 at 14:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | 久留米について

2008年08月29日

B級グルメ

私は福岡県久留米市に住んでいます。
そんな久留米では数年前から「B級グルメの街」という言葉がでてきています。
「グルメ」という言葉の定義は正確には知りませんから「グルメの街」の定義もわかりません。
「グルメ」とは美味しいものを指すのか、美味しいものを好きな人たちを指すのか、「グルメ」という言葉を使う人が、本当に言葉の意味をわかって言っているようには思えませんから、私と同じように印象で美味しい食べ物の街と言っているのでしょう。

私は若いときから「久留米は魚以外は博多より久留米の方が美味しい」と言っていました。
けれども最近はその自信が無くなっています。

久留米は不味くなりました。
まさにB級グルメの街になりました
B級グルメと言った人は、大衆文化的な安くて旨いというアピールでその言葉を使い始めたのでしょうが、値段もB級、味もB級となってしまったように思います。
私は値段はB級、味は一級と言い続けてまして、それにつられ関東から知人が数人連れてやってきたこともあります。
それも今は古き良き時代です。
自信を持って久留米を案内することはできません。

久留米のB級グルメでよく言われているのが、焼き鳥とラーメンです。
久留米でのB級グルメの筆頭はラーメンです。久留米のラーメンは美味しいです。ですがそれは、化学調味料あってのことです。
化学調味料を使わなかったら、間違いなく値段がA級になると思われます。同じように仕込んでも決して同じ味にならないのが豚骨スープです。ある程度のクオリティーを保ちながら豚骨ラーメンを作るには味の素は必要です。ラーメンを味の素を使わずに作り同じ美味しさを毎日提供しようとすると不可能に近いものがあります。実現しようと思えば、値段をA級にするしかありません。
(ちなみに博多の豚骨ラーメンは久留米ラーメンのまねごとを福岡風にアレンジした食べ物と思っています)

久留米のもう一つのB級に焼き鳥があります。ですが、焼き鳥と言っても鶏肉ばかりではないのに、「焼き鳥」といってしまうのが久留米です。他に地域の人には理解できないでしょうが、それが私が好きなところでした。
ここには久留米以外の方もおいでいただけているようなのですが、焼き鳥といってもメインは鶏でなく、豚肉(豚バラ)、牛肉(サガリ)巻物(チーズをベーコンで巻いたり)です。鶏肉は四つ身、鶏皮、砂ずりくらいしかありませんが、焼き鳥を名乗る神髄は美味しい砂ずりを食べさせる所と思っています。(豚バラも入るのでしょうですが)
今、久留米で美味しい砂ずりを食べさせてくれるところがありません。自慢の焼き鳥でしたが、今の久留米の焼き鳥は、味も値段も完全なるB級です。

久留米は焼き鳥とラーメンだけではありません。
美味しい店たくさんあります。
値段はB級、味は一級
そんな久留米の良さを忘れたくないので、こんな事書いてしまいました。

久留米のB級グルメには、うどん、チャンポン、豚カツ、餃子、食堂、

焼き鳥、ラーメン以外もまだまだ多くが健在です。
posted by 五十鈴屋こと井上龍夫 at 02:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | 久留米について

2008年06月20日

おらがまちの先生は死神

おらがまちの先生とは、福岡六区選出の鳩山邦夫法務大臣のことです。死刑執行を行った数が一番になったことで、十八日の朝日新聞夕刊で、鳩山大臣を「まるで死神」と表現したそうです。

朝日新聞から言わせると、おらが町の先生は「死神」です。
まあ、日本には死神という名の神は存在しませんので、それを書いた朝日新聞の方は日本人ではないようです。

死刑が確定して、六ヶ月以内に刑を執行しなければいけないことが、法律で決められています。死刑を決めたのは、国会議員ではなく裁判官です。
「三権分立」ていうやつです。
「三権分立」は偏った国の運営が行われないように決められたことです。裁判官が犯罪者の刑を決め、大臣がそれを認めて死刑は執行されます。今は、法律を一番守るべき法務大臣が法律違反をしており、六ヶ月以内に死刑執行が行われることはありません。
六ヶ月以内というのは、死ぬことが決まっているのに、いつ殺されるかわからない不安な期間を長くしないように六ヶ月と決められたのだと思います。
法律を司る一番の長、法務大臣が法律を守っていなくて、少なくともそれに近づこうとすると、「死神」と呼ぶ日本、おかしいでしょ。
死刑としたのは裁判所。
三権分立から勉強し直ししなければいけない、いわゆるマスメディアですね。
抗議が千八百件あったそうなので救いでしたけど、もし死刑が気に入らないのであれば、法律を変える運動をしなければいけません。法律を守ってこそ法治国家であって、朝日新聞の言うことは法律を破ることを勧めていることになります。

しかし国民の民意で選ばれた人を死神と表現するなんて、・・・・・
朝日新聞を表現する言葉がありません。
posted by 五十鈴屋こと井上龍夫 at 21:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | 久留米について

2008年05月09日

とらやのお母さん

私が住む久留米市には、文化街という名の夜の町があります。
子供の頃には、あこがれの大人の場所っと言った感じでした。
その文化街も数年前から、醜悪な下品な盛り場となりつつあった事を悲しく思っていました。

久しぶりにお世話になっていた人に呼び出されて、文化街に出ました。

そして入ったのは、メインの通りにある「とらや」という、おむすびとお茶漬けのお店。
十一時半だというのに、今から開店準備という気合いの入ったお店です。
昔はばりばりの夜の蝶であったお母さんと(とは言っても私からすればもうお母さんを越えて・・・のかたですが)久留米についてお話ししました。

私以上にとらやのお母さんは悲しく思っておられるようで、次から次に想い出と今の悲しみをお話しされていました。

文化街はすでに久留米の人間の街ではなく、福岡方面から来る派遣という名の女の子ばかりで、その元締めはもちろんあちら側の人。
昔からあちら側の人はいましたが、やはり時代の流れとともに、あちら側の人も変わったようです。

そこでそんな文化街を活性化しようと言う名目で活動されている、「さくら会」という夜のご商売の方々のお話をすると、「あん人だちゃ何もしとらん。したつは街灯ばつけただけたい。それでよろこんどる。イベントして人あつまったっちゃ、街には流れてきとらん。おうたらとらやの母ちゃんがそげん言いよったち言うときい」

気持ちのよい啖呵を切っていただきました。・

私が子供の頃に憧れた文化街はこんな方々が造っていたんだなと思うと、久留米にこんなお母さんがいることを誇りに思えます。

久留米近辺の方、川村食堂もいいですがとらやも最高です。
でも下手に行くと怒られるかもしれません。
posted by 五十鈴屋こと井上龍夫 at 20:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | 久留米について

2007年11月25日

定年過ぎてもマニュアル必要ですか?

月刊現代の十二月号のタイトル

特集
本物の大人たちへ

第1部
「団塊」って呼ぶな


第2部
大人たちのためのエンタテインメント入門

◎50歳からのホンモノ道楽
◎美術館をとことん楽しむ七ヵ条


第3部
自分を再発見する旅

◎入門「大人旅」
資金やガイドはなくても、知恵と行動力で「さあ、始めよう」


これぞ妻孝行の第一歩
入門『せめて昼メシ』講座
第2回/古女房が惚れ直す鍋

幸せになる年金
定年後も働くなら、ベストの年収はいくらか?





特集のタイトル

本物の大人たちへって

あなたは本物の大人になってないのですかと突っ込みたくなる。

雑誌編集者の世代にたいする思い込みで特集したのか、ニーズがあるから特集したのか

タイトルだけ見ると、ガキの頃に見てたポパイや「必ず成功する初デート」なんて名のマニュアル本みたいで、定年を迎える世代が読むタイトルじゃないでしょう。

この特集を真剣に見る大人が多いのならば、年金は貰うのはやめて、まだまだ働け!と言いたくなります。
年金は貯金でなく、現役世代が隠居世代を負担する制度ですから、貰う金額は子供の数に比例するってどうでしょう。
定年後に働いて得た金額で減らされる制度でなく、育てた子供が多い人は多く貰い、一人しか育ててない人は少なく貰う。

小子高齢化解決
気楽に働いてもらって金使って景気回復

南の島にすむ、子沢山のビッグダディーなんか、老後は安泰ですよ。
posted by 五十鈴屋こと井上龍夫 at 12:27 | Comment(2) | TrackBack(0) | 久留米について

2007年10月31日

法務大臣はアルカイダの友達と友達

鳩山法務大臣の言葉です
久留米選出の国会議員です。
そのお友達は、ちょうちょ仲間らしいですが

不適切以前でしょ

久留米人が選んだ鳩山さん
さて、死刑執行はどうするのでしょう
posted by 五十鈴屋こと井上龍夫 at 00:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | 久留米について

2007年08月03日

「スッキリ!!」で久留米が取材されました

みのもんたの「朝ズバ」の裏番組の「スッキリ!」が我が町久留米へ、馬鹿みたいに自分の考えさえまとめられないリポーターが多い中、きちんと現場取材をし、いい感じのリポータ−あべさんがきていました。
みのもんたの強引さが鼻について、最近は「スッキリ!」派の私。

しかし、せっかくの取材はあまりいい話でなく、ある事件に関してでした。
それは、中学生を夜の店に派遣し、抜けたいというと引きずり込んだ友達を脅していて、逮捕された事件を追ってでした。

車で見ていたので画面が小さくわからなかったのですが、多分文化街で子どもたちに取材していました。
んんんん・・・
一昔前なら絶句!
それが久留米とは
うちの長女は四年生
後数年すると・・・・・・

考えたくない。

結局は、需要と供給の話で、手慣れた水商売の女より、初々しい多少ぎこちない女性がいいという要望もあるからともいいます。

昔の久留米の文化街は楽しかった。
子供の頃でも楽しそうに見えました。
昔は綺麗な女の人や色気のある人が多くいた記憶がありますが、今の文化街では下品なただ肌を露出しているだけの色気のない女の人が目につきます。
若いときに少し気の利いたところに言っても、はなかなか相手して貰わなかったですが、それでもいい、何かと人生勉強しにくような感じがありました。

私が記憶する昔の久留米は、スケベよりも何かと心の安らぎみたいなものや恋愛気分のようなものを与えてくれてました。
怖い人も多くいましたが・・・

今の文化街は暇なので、女の子をずっと雇い入れておくのは辛いのかもしれませんが、バイトで通用する接客しかしていないのであれば、今の廃れた文化街になるのも仕方ありません。
色気ばかりを言う店が増え、飲屋街でもないけど女郎街でもない。
中にはよい店もあるのだろうけど、全体的に見れば、中途半端な下品な街になってしまったのかな。
変な店には変な人しか寄ってこないから、いいお客さんは文化街に足を踏み入れなくなるのかな。

文化街も久留米の文化だから、もう少し自慢できる通りになって欲しいな
posted by 五十鈴屋こと井上龍夫 at 23:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | 久留米について

2007年08月02日

もうすぐ久留米の花火大会

八月五日に行われる久留米の花火大会は盛大でした。
西日本一といわれていました。
まだ日の暮れないうちからあがりはじめ、二時間以上あがりっぱなしです。
JR久留米駅の近所に住んでいた私の八月五日は、必ず近くで花火を見ていました。
久留米の花火大会は、曜日に関係なく八月五日にあります。
雨天時は二日後です。
元々は、五月と八月水天宮さん(久留米の水天宮は全国水天宮の総本宮です)の大祭にあわせての花火大会でした。
水天宮さんの対岸から一気に上がる花火は圧巻です。
河川敷で見ていると、真上に上がる大きな花火は、落ちてきやしないか心配するほどです。

久留米で育った私の自慢でした。

数年前、花火大会は警察の許可が下りず八月五日にあがりませんでした。
その理由は警備上の問題です。
その年、花火を支えてきた京町校区の人たちは、「日本一小さな花火大会」を水天宮境内で行いました。
花火大会を行う署名がたくさん集まりました。
子供を連れて行きました。
数は少なかったのですが、出店もでていました。
それはそれで楽しかったです。

多くの市民が存続要望の署名をして多くのかたが署名された結果、その後、佐賀県鳥栖市も参加して、篠山城(久留米城)に分散して行うようになります。
身動きとれないくらいであった水天宮さんの河川敷は混み合うことが無く、小さい子供連れには見やすくてこれもいいなと思いました。
子供の頃に見ていた壮大な花火大会では無くなってしまいましたが、できなくなったわけでないので安心しています。

そんな花火大会ですが、中止になろうかとしたその年。
毎年花火大会にあわせてその前日にあっている「水の祭典」という久留米のお祭りがあります。
お祭りといっても、大きな盆踊り大会なのですが、その祭りの中で「花火大会を存続させよう」と、祭りの中で呼びかけられなかったのです。祭りと花火大会は別と思っているのかな。
私はお祭りの中でも花火大会存続を訴えかけて欲しかったです。
できなかった理由があるかもしれませんが、

打ち上げ範囲が大きくなって次の年、対岸からも見られるようになった花火会場で警備本部の拡声装置をつける仕事に行く機会がありました。
広々と見られるなと、仕事を忘れ待っていると、仕掛け花火のクレーン車の近くに違法に止めている車があります。
本来車は乗り入れられないようにしてあったはずです。
私たちが設営のため車を乗り入れようとしたら、県の管理の人がでてきて小うるさくチェックされたのに、普通の人が車を乗り入れることがでました。
管理の人は、定時で帰られたのでしょう。
仕掛け花火のあるところなので、私たちが設営した拡声装置を使って、再三車の移動を呼びかけます。
しかし、車が移動せずに予定時間にはじめることができません。

警備所の皆が動き回っていて気の弱そうなおじさんだけ留守番していると、ちょうど初孫さんがいらっしゃるような男性が、「ごちゃごちゃ何回も言ってうるさい。さっさとはじめろ」と怒鳴ると言うより、強面風にクレームをつける感じでやってきます。
その手の方は大嫌いなので、黙って見守っていると、気の弱そうなおじさんは一生懸命、理由を説明します。
しかしその男性は引き下がりません。
そもそも無視して花火を揚げる決定権が、その気の弱そうなおじさんにあると思っているのでしょうか。
そのうち視線を感じたのか、黙って観客席に戻りました。

車を止めてはいけない人がいて、安全のために開始を遅らせ、早く車を移動して貰おうとしているのに、
「そんなことは関係ないから早くはじめろ!何度呼びかけてもでてこないのだから仕方ないだろう」

無視して花火を揚げて車に傷でも付いたら、車の持ち主は自分が止めては行けない場所に止めているにもかかわらず
「車に傷が付いた、弁償しろ」
というのかもしれません。

自分のことしか考えられないのは、若い人だけのものではありません。
みてて嫌になりました。

私の心にしっかりと残っている久留米の花火のように
今年も花火大会が、久留米の多くの子どもたちの心の花となりますように・・
祭りが多くの子どもたちの心に残りますように
posted by 五十鈴屋こと井上龍夫 at 13:39 | Comment(0) | TrackBack(0) | 久留米について

2007年07月30日

久留米の活性化案1

私の住む久留米市は、昔から商人の街と言います。
久留米が景気のよかった時代は知りません。
三十年前から比べても、立派なアーケードの下を通る人は、本当にまばらで、平日の夜などまるでゴーストタウンと呼んでいいくらいです。
空店舗率20%

数年前、一方少し離れたところに大型郊外店ができ、休日は周辺道路が渋滞するほど人は集まります。
渋滞するほど人が久留米に集まっているのですから、その流れは町の中心に流れてきそうなものですが、シャッター通りには人が流れてきません。
行政は商店街の活性化を言いますが、まるで結果がでません。

寂しい限りです。

なぜ人がこないかの理由は簡単です。
行きたくなるような店がないからです。
人が集まらないのは、店が集まっていないのです。
新しいことが見つかる、魅力的な店がないのです。
郊外店には何も買わなくともそれなりに楽しめるようになっていますが、商店街はそれがありません。
しかし商店街を離れた場所には、美容室や若者向けの変わった洋品店などがぽつりぽつりと結構な数で営業しています。
車を止めるにも不便そうな場所もあります。
その人達はなぜ商店街に店を構えなかったのでしょうか?
商店街に構えたくなかったのでしょうか。

駐車場の問題と、家賃が高いと言うことが商店街に店を出さない大きな理由でしょう。

個人商店は個人事業主です。
個人事業主は、国民健康保険、四十歳以上であれば介護保険、そして国民年金です。
もし子供三人の四十二歳の人であれば、介護保険は課税所得が百二十万で、限度額の九万円になります。
国民健康保険料は三百万越えると限度額の五十三万円。
国民年金は一律一万二千円ですから、夫婦で月二万四千円、年間二十八万八千円。
この三つで年間九十万円払わなければいけません。
所得三百万であれば、所得税年間十万円にもならない所得です。
その理由は、国民健康保険料の均等割という、所得関係なしに世帯の一人あたりいくらという金額によるものです。
その金額は福岡市より高いです。
(ちなみに大野城市であれば、所得三百万でも国民健康保険料は三十六万、介護保険六万円で済みます。限度額となる所得は五百三十万です)


所得の三百万は月に割れば二十五万。
いくら物価が安いと言っても、月二十五万の所得に対しては大きな負担です。
親になっても親のすねをかじらないと子供にお金はかけられません。

個人事業主には優しくない町です。
商人の街かもしれませんが、商人に優しい街とは言えないでしょう。

行政が本当に商店街を活性化で、店舗の改装費用を負担し空き店舗率を10%にすると言っていますが、それは一時的なもので、継続的な負担の軽減にはなりません。
活性化のために、どんな人たちに店を出して欲しいかを考えれば、既存の店舗でなく、意力溢れて若く、一からの創業者が増えなければ、活性化することはできません。
店を出そうとする人は、若い人もいるのでしょうが、資金を借りて創業するのは信用度から言っても、三十代から四十代と思います。
結婚して子供が幼稚園から小学校くらいでしょうか。
裸一貫!会社を辞めて自分の店を持つぞと思う人はいるかもしれません。
しかし、家族をもつ人が創業するには、この保険料、年金の負担は大きすぎます。
家族のため、現状維持できる生活を送ることでしょう。
売上あがらず、子供が病気をして、病院行きたくても保険料払っていないから保険証が無く、自己負担できる現金もない。
そんな惨めな生活になる可能性もあるのですから

市町村単位の裁量でできる活性化として、極端な話ですが、意力溢れる個人の創業を目指す人に対して、国民健康保険料を三年間免除してあげてることぐらいできないのでしょうか。
すれば、多少家賃が高くとも商店街に店を構える気になるのではないのでしょうか。
多少売上が悪くても、数年間は頑張る気になるのではないのでしょうか。


私の前年度は、所得税は非課税、市県民税は年間数万円消費税は十七万円、介護保険と健康保険は限度額いっぱいで、六万二千円を十回払います。
払えるか!と、思っていますが保険証がなくなるので、遅れながら払っています。
実際年金までは払えません。
国民健康保険に関しては、免除して貰っている人もいるそうですが、それは行政側と喧嘩する勢いでなければ、免除してもらえません。
制度として決めて、申請すれば免除してもらえるような仕組みを作り公示すれば、お店を町中に出してみようと思う、増えるのではにのでしょうか。

商店街に店を出すと言ってもそう多くに人はいませんでしょうから、その免除額は一緒に住んでいるのに離婚して、母子手当を不正に貰っている人よりは少ないのではないのでしょうか。

子供が四人の私には、あまりにも大きい負担ですので、本当は自分が免除して欲しいのでした。
posted by 五十鈴屋こと井上龍夫 at 23:41 | Comment(0) | TrackBack(0) | 久留米について

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